※このブログでは実際にブラック企業で働いた人の経験談やブラック企業を辞めた経緯をネットで募集し、一般の方に書いて頂きました。
実際にブラック企業で働いていた方のリアルな体験談ですので、今も「ブラック企業を辞めたい!」「早く転職したい!」と思ってる人のヒントや手助けになればと思います。管理人
20代後半 男性
私は大学を卒業してから、大手飲食業に就職しました。
それから3年間、様々な事件を経て、死ぬほど働き転職をすることにしました。
今回は、その経験談についてお話をしたいと思います。
(1)就職から研修を終え配属を迎えるまで
大学の就職戦争を終え、いざ入社式を迎えた私ですが
無事に東京都内に本社を置く大手の飲食メーカーに入社することになりました。
お世辞にも一流とはいえない私立大学に入学したため、
一応名の通った大手の飲食メーカーに就職できたことに両親は喜んでいました。
しかし、検索エンジンに会社名とスペースをいれるともれなく「ブラック」と
キーワードが出ることについて私もその両親も気付いていたので入社してから
人並みの生活が遅れるかどうか不安がありました。
そんな不安を胸に、私は入社をし終え、研修に移りました。
研修は基本的に座学ですので、簡単な物流構造やPOSを始めとするITシステムに関する
知識を詰め込むだけですから非常に楽しく活気のある日々を送れたことを覚えています。
そんな私が配属を言い渡されたのは某レストランチェーンのエリア責任者と呼ばれる肩書でした。
震える手を抑え、検索ワードに打ち込むとその会社でも激務と呼ばれる配属先だったらしく「終わったな」という気持ちしかありませんでした。
(2)研修から始まる地獄の日々
次に始まったのが店舗研修です。
店舗研修では、
(1)お客様との接客の仕方
(2)品質の高い調理方法
(3)店舗管理業務
の3点に絞り、実務を交え、独り立ちが出来るようなカリキュラムをOJT形式で叩き込まれます。
実は、この時点から教育担当者が代わりエリアマネージャーと呼ばれる役職の方になりました。
このあたりから私の日常が暗黒の日々に突入します。
まず、初日に覇気が足りないという理由で店舗の前で大声での呼び込みを扠せられるようになりました。
それも声がかれるまで行われます。
急に、私自身の教育もまだ終えていないうちから、私自身がバイト社員に対する
研修指導を行うよう言い渡されました。
もちろん、まともに教えることもできずしどろもどろになっていると、後ろから大声で怒鳴りつけられます。
しかも、送迎は自家用車で移動。
移動はバイト社員や上司を乗せるにも関わらず、ガソリン代の申請は却下されます。
何かがガラガラと崩れる音がして、その苦心の想いは真っ当に受け入れられずに
毎日を過ごしていました。
そして、遂に始まるのです。エリア責任者として、独り立ちをして仕事をする日々がです。
(3)独り立ちで味わう徹夜の日々
配属された店舗は4店舗。つまり、複数の店舗の店長として、日々の売上管理に始まり、バイトの採用、教育、シフト組などをすべて行います。
売上計上は本社で集中管理しているにも関わらず、紙ベースでわざわざ
電卓を使って自分の上司に報告書を書きます。
書けば書いたで売上を上げるために何をしたらよいか提案書を作成し提出します。
これらの業務は日常に行いますが、
それだけではなく私の場合はシフトの空きコマを埋めることもやらされました。
その店舗は24時間営業をするため、必要シフト人数に満たない場合は自分がシフトをこなしその空きコマを埋めます。
単純な計算として、4店舗ありますので、毎日4×24時間=96時間の間、
常に誰かしらをシフトとして組み入れる必要がありますがそうそううまくいきません。
バイト社員であればドタキャンが発生しますし、バイト社員同士仲がよくないと
急に辞める人も少なくありません。
特に春はバイト社員が不足しますので空きコマは社員自らシフトを埋めます。
通常業務を日常行い、さらに深夜に業務を行うわけですからまとも寝ることは出来ませんでした。
最悪なのはその地域が田舎だったため、店舗間の移動を車で30分程かかるため、
夜勤空けの車移動は本当に死に物狂いでした。
実際にそれが原因で事故を起こしたこともありますが上司から、相当に怒鳴り散りされた挙句に
その賠償請求は自分自身の保険を適用して行うよう指示を受けました。
一生懸命仕事をした上での事故なのにと思いつつもその当時の私は「事故を起こした自分自身が悪いのだ」と思い詰め
どんどん自分自身がおかしくなっているのを感じました。
(4)遂に壊れた私の頭
タイトルの通り、そんな生活を行っていますから遂に私の考え方はおかしくなっていきます。
- 深夜空けにすぐ移動すると事故を起こすので15分だけ仮眠する。
- 店舗で寝ると迷惑を掛けるので、駐車場に止めている自分の車で寝る。
- ご飯もまかないで済ませる
という日々を過ごしていました。そんな生活が続いたある夏の日です。
無理が続いた上で盗難を気にした私は窓も締めそれでも尚、疲労がたかっていたため、
寝ることにしたのですが、遂に事件は起こりました。
熱中症中毒になってしまったのです。それは次のシフトに入るはずの時間帯に出勤していない私の携帯電話に店舗から電話がかかり気付きました。
急いで店舗に向かうと告げ、アクセル全開で走っていると急にめまいが起きました。
そこで、おかしいなと思い停止していればよかったのですがとうとう気を失ったまま
運転してしまい電柱にぶつけてしまいました。上司にはその旨を報告し、休ませてほしいとお願いしましたが受け入れてもらえず。
またもや、自損事故として処理をすすめる事になりました。
(5)自宅まで上司が来たがなんとか退職
とうとう限界と思い、遂にその日無断欠勤をすることに。
上司からは鬼のように電話がなり、1週間ぶりに帰宅した自宅に鍵をかけておくと
またもや鬼のようなチャイムが鳴り響きます。
そうです。上司が鬼の形相で問い詰めていたのです。
私は決意して扉越しに辞める決意をしたところ、上司は郵便受けから1通の書面が。
本当にいま思い出すだけでも悔しかったです。「辞職届け」がポストから出てきました。
涙目に次の週提出し、辞職することにしました。
もちろん、その事件があった日の欠勤分は給与から引かれていましたが
私のことをごみように使い捨てた上司とこれ以上地獄の日々を過ごすよりは
はるかによいと思っています。
いま、思うと、無理に就職したことでこんな運命になったわけですから就職活動がいかに重要なものか思い知りました。
現在はというと、地元のスーパーで店長をして順風満帆な生活をしています。
[template id=”1268″]