※このブログでは実際にブラック企業で働いた人の経験談やブラック企業を辞めた経緯をネットで募集し、一般の方に書いて頂きました。
実際にブラック企業で働いていた方のリアルな体験談ですので、今も「ブラック企業を辞めたい!」「早く転職したい!」と思ってる人のヒントや手助けになればと思います。管理人
20代 女性
私は新卒で飲食チェーン店に入社しました。飲食業はブラックだという風潮がありましたが、労働組合もありブラックではないと感じたので、入社を決めました。仕事内容は調理と接客が中心で、仕事時間はパート・アルバイトの方と一緒に作業をします。
最初の仕事はそれだけで、与えられたシフトをこなして定時で帰宅していたのですが、入社半年を過ぎるころにはそれ以外の仕事も任されるようになりました。
具体的には、食材の発注やシフトの作成、それ以外の細々とした雑務です。仕事中にやるように言われるものの、まだ完全に慣れない作業をしながらそれ以外の仕事をすることが出来ず、結局仕事が終わってから手を付ける日々でした。
上司はそんな私に気付いているはずなのに、「早く帰れよ」と言って先に帰宅、次第に増える仕事を必死にこなしていた私は、3年目に店舗の責任者を任されました。
責任者になるとより仕事が増え、パート・アルバイトの方のやむを得ない欠勤の穴を自分の休日出勤で埋めるようにもなりました。人件費を削れと本社から言われ、こっそりとサービス残業をしていたこともあります。
お店を深夜に閉店してから、雑務をこなして鍵を閉めて帰宅するということも少なく、常に寝不足で疲れも蓄積していきましたが、あまり気にしないようにしていました。
次第に日常生活が回らなくなってきて、洗濯物は溜まり、自炊が出来ない日々が続きました。私の部下は私を支えてくれていたので、それで頑張れていた部分が大きかったと思います。職場の人間関係も良く、年上のパートの方は「痩せたんじゃない?」「ちゃんと食べてる?」と私のことを気にかけてくれ、時にはお弁当を作ってきてくれることもありました。
そんなある時、私は風邪をひいてしまいます。
ちょうど繁忙期だったのですが、39度の熱が出てフラフラしていたので、病院に行き会社に電話を掛けました。申し訳ないけれど今日は欠勤させてほしいと伝えると「熱ぐらいなんだ、死ぬ気でやろうと思えば仕事に来れるはずだ」と言われ、私は少し驚きながらも「休もうなんて考えた自分が甘かったんだ」と思いました。
その日は病院で点滴をしてもらってから仕事へ行き、マスクをしながら調理などをしましたが咳が止まらず、何度か休憩を挟みながらも仕事をしました。熱も下がらず体調も良くなりませんでしたが、気力だけで3日間仕事に行きましが、そのせいで私は気管支炎になり、1か月入院することに。
繁忙期が落ち着き病院へ行くと、「これはひどい、すぐに入院して」と言われたのです。人生で1度も大きな病気をしたことが無かった私にとって、初めての入院でした。驚きましたが頭は冷静で、まず先に考えたのが「会社を休んで申し訳ない」ということ。その後、上司に報告すると意外に怒られず、ゆっくり療養するよう言われました。
入院した翌日、田舎から両親が見舞いに来てくれました。
「繁忙期なのに風邪をひいてしまった」
「仕事に穴をあけてしまった」
「すぐに戻らないと」
と繰り返し言っていた私に、両親は驚いたそうです。
入院に至った経緯を話しているうちに、私は自分が少しおかしいのではないかと思い始めました。
その頃には1か月の休日は3日ほどで、月の残業時間は120時間を超えていましたが、「なんでこんなに頑張っているんだっけ?」と突然気が付きました。入院中に友人や親戚が会いに来てくれたのですが、私はその人たちにいったいどのくらい久しぶりに会うのかわからないほどでした。
そう思うと、自分の働いている環境に違和感を覚え退職しようと決意、退院してから上司に辞表を渡すと受け取ってもらえませんでした。
「もう体調は良くなったんだろう」
「お前はもっとできる」
「これからだっていうのに辞めるのか」と強く引き止められ、私の言葉は聞いてもらえませんでした。
そのため、その上のマネージャーに話を通し、辞表を渡す事に、「とりあえず預かっておくね」と言われ、すぐに受理してもらうことが出来ませんでした。
毎日人事部の誰かと面談をすることになったのですが、私が入院した経緯を話すと自己管理が足りないとは流石に言えないようで、それだけが私にとって武器でした。次の仕事が決まっていたら辞めやすいと退職した先輩に聞いていたのですが、私に転職活動をする時間は無かったので1つでも武器があったのは本当に良かったです。
結果として、辞表を出して3か月後に退職することに、飲食業はブラックだと聞いていましたが本当にそうでした。入社するときは会社の良いことばかり伝えていますが、実態は全く違いました。
労働組合も外注ではなかったので、結局は自分の会社には逆らえない内部組織、どんなに劣悪な環境でも注意喚起だけして終わるので、改善されることはありませんでした。
退職するのは簡単ではありませんでしたが、辞めてよかったと思います。
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